くるしくて、くるしくて
060:苦しいのはまだ生きている証拠
反政府組織は結局それ以上にはなれなかった。拘束衣と牢。囚人である現状がすべてだ。戦いに挑んで敗けたのだ。犠牲と責任と敗けたという意味がぎりぎりと締め付けてくるかのように。藤堂は戦闘力や指揮能力があるからある程度隔離されている。それは体制側が藤堂に感じる怨嗟のように端々に現れた。監視に来る兵士の態度や暴力は藤堂の在りようを踏みにじる目的が見え透いた。これが負けるということなのだと思う。踏みにじられ、責を負わされ、恨みや憎しみの対象になる。取り調べと称される暴力はありとあらゆる範囲と手段に及ぶ。加減も温情もない。あるはずがない。
だからいつもの通りにされるのだと半ば倦んだ気持ちで連れていかれた先にいた年少の顔に驚いた。囚人に与えられる情報などないから彼が所属している軍属内でどういった変化を迎えたのかを藤堂は知らない。栗色の髪はくせの強さはそのままに短く、碧色の双眸は聡明さを湛えている。引き締まった表情の中に昏いものを感じる。あぁ、と思った。彼が幼い日に抉られたあどけなさや心がまた削り殺がれたらしいことだけは判る。枢木、スザク。不用意に名を紡ごうとした刹那に幼い高さを残した声が響く。
「膝をつけ」
藤堂の膕が蹴り抜かれ、硬い床へ思い切り伏すように叩きつけられた。鳶色の髪を掴む兵士の力に容赦はない。スザクもそれを咎めない。
部屋には何もない。兵士がうかがうようにスザクを見、平坦な幼声が応える。二人で話をする。監視カメラは切らなくていい。自分とこの男の二人きりにしろ。外から施錠を。退出する際には合図をする。兵士は敬礼して退出する。扉が閉じられる音が殊更に隔絶を響かせるような気がした。
「どこを見ている」
襟首を掴まれて猫の仔のように吊られ、乱暴に放り出される。上等な靴先が藤堂を仰臥させると肩を踏みつけた。加減されている。肩が壊れない程度の力だ。拘束衣で両腕は後ろに回されているから仰臥すると背が反った。スザクが昏い笑みを浮かべる。
「女みたいだな…いや、あなたは女だったな」
みしり、と軋む。与えられる暴力は巧妙に陰湿だ。加減を誤って医療という分野が割り込む隙を与えない。壊れないギリギリまで痛めつけられて檻の中で舐めて癒える程度の傷をいくつもつける。スザクはその塩梅や習慣化したそれをはかるかのようにじわじわと力を込めてくる。
「痛がりもしないのか」
藤堂の表情は変わらない。痛みには慣れている。痛みを感じることとそれを表に出すことは別の事だ。それはもう日本という国がまだ日本という名であった頃から、識っている。昏い思い出に藤堂の灰蒼が眇められる。この枢木スザクもまたその昏さに無関係ではない。
服が、邪魔だ。スザクのつぶやきは小さく藤堂には明瞭に届かなかった。
「スザク、くん」
瞬間奔った怒りが見えるような気がした。胸倉を掴まれて引き起こされる。冷たく燃える碧色は見たことのない潤みだった。
「呼ぶな。…――あなたはオレを救ってくれなかった、くせに」
言葉が抉る。眉を寄せる藤堂にスザクは口元を歪めた。あぁもう本当に。邪魔なものばかりだ。がんと頭部を打ち付けるように抑えつけられる。少し脳が揺れた気がしてくらりとする。眩みをこらえながら向ける目にスザクの表情は映らない。ぶちぶちと千切るように留め具が外されていく。ベルトが揺すられる。襟が開かれていく。抗おうとして、やめる。無意味だ。力を抜く藤堂にスザクはつまらなさげに見下した。そういう仕草や空気は幼い日のようでひどく。
「抵抗はしないんですね」
「意味が無い」
「オレが加減すると?」
「するのか」
淡々とした口調に二人の感情はにじまない。あなたが命乞いをする易い男なら楽だったのに。易い男だ。だから、ゼロの言葉にも乗った。ぴく、とスザクが反応する。
「それがあなたの罪だ」
拘束衣がはだけられた。留め具が外れて締め付けから解放される。スザクは乱暴な手つきで藤堂の衣服を剥いだ。逃げますか、全裸で。それとも腹の中に何か呑んでいるのか。拘束は解かれたがそれだけだった。それどころか脚の間を隠すものさえない。捕縛された際に備品も装備もすべて奪われて身体検査を受けた。それを知らないわけもない。ただの揶揄だ。
身構える前に押し倒された。恥じるような可愛げはないと知っている。敗残兵の扱いも与える屈辱の手段も、ブリタニアという国は。そんなことはとうに身に染みている。君もブリタニア軍人という、わけか。やめてください。そんな、ふうに。
「オレの事をそんな風に、呼ぶな……」
碧色が暗緑に煌めく。それとも。
「ブリタニア軍人だったら……藤堂鏡志朗を犯してもいいですか」
スザクは口を使って手袋を取ると素手で藤堂の肌に触れる。瑞々しい肌が馴染む。体温が同化するようなそれに藤堂が警戒しようとする。肩の丸みを撫でて鎖骨をたどり、中心のくぼみを指が圧す。藤堂。呼び捨てる、声が。
――藤堂
脂と昏さと歪みに満ちた声。与えられる苦痛と屈辱と、あれは交歓などではなくただ一方的に犯すだけの。背筋を駆け上ってきたものが何なのか認識する前に体が反応した。ば、しん、とスザクの手を払う。藤堂の反応にスザクが一瞬だけあどけないような無垢な驚きを見せた。藤堂自身も手を払いのけたことに怯んだ。どんな暴力も享受すると決めたはず、だった。すまない、と謝ろうとしてそれも果たせない。間が抜けているしスザクがこれからやろうとしていることは藤堂の合意などなく、訊かれもしないのだ。スザクの口の端が吊り上がる。酷薄な笑みだった。藤堂が知っているスザクには似合わないような、けれどそれが彼の変遷の結果なのかと声を呑む。口元を引き結ぶとスザクはますます嬉しげにさえ笑った。背筋が震えるほどの、それは。
「何か感じましたか……それとも、思い出した?」
感情と思考がひどく深い虚に落ち込んで冷えていく。凍るような冷たさに唇を噛み、硬い床へしがみつくように爪を立てた。取り乱すことは赦されない、それは、あの男と同じ――
「藤堂。オレは、あなたを」
――藤堂、貴様
声が、二重に歪む。ひずむ。関係ない。関係などないのだと思っても体は応える。震える。スザクの爪先が藤堂の裸身に刻まれている古傷を押し抉る。銃創や裂傷や、皮膚を肉を深くまで抉っている傷を。過敏なそこを抉られて身をよじりたい。ひく、ひく、と痙攣するように慄えや跳ねを堪えるのをスザクは嗤った。
「犯すんだ。だから、啼け」
――せいぜい啼いて見せろ
ひゅうと藤堂の呼気が鳴る。同時に堪えきれない奔流が吐き出される。憤りや慄えや諦めと足掻きと。あの男ではない。だが、この目の前の男は、あの男、の。
「枢木、スザク……!」
瞬間奔った手が藤堂を殴打した。衝動ではない。どの程度の結果になるかを知っている、加減のされたものだった。頤をぐいと強い力が抑える。骨が軋むようなそれがスザクの憤りなのか侮蔑なのか失望なのかも判らない。ただ内に溜まっているどろりとしたものがひどく、古傷を裂いた。呼ぶなと言ったはずだ。…すざく、くん…。スザクが口元を弛める。そんな懐かしい、呼び方。直後、表情が抜ける。弛む。スザクの張りつめたものが弛んで、そしてあらわになったそれは、恐怖でしかなかった。幼の残る声が。
「藤堂先生。オレもうこんなに大きくなったんです。強くなりました。だから」
面倒見てくれますよね?
脚を掴まれて開かされる。名を呼ぼうとして躊躇う。開いた口から言葉が漏れた。スザク、くん。言葉がなかった。理由を問いただしたい気持ちはあったがそんなことが出来ると思ってもいない。好き放題扱われるのをやり過ごすしかないのだ。諦めと同時にスザクの名は捨てきれない甘い疼きを宿す。どうしてもオレの事、そう呼びたいですか。
「藤堂先生」
抉られた、瞬間。刀身が強引に押し入ってくる。息を呑んで強張る体が深々と犯し貫かれた。嬌声も悲鳴も呑んだ。スザクが下拵えをしないのは故意だ。交渉でも交歓でもなく一方的に犯される。そして藤堂の体はそれを識っている。藤堂はスザクに触れない。爪を立てるどころか手を這わせもしない。そこから痛みを逃がすように固い床へ爪を立てる。爪がみしみしと軋んで血がにじんだ。
「先生。もっと」
もっと啼け。服装を乱していないスザクだが体がまるで冷えて強張っているかのように固い。刀身は萎えもせずに熱いのにスザクの体は不自然に攣っている。触れても拒まれると判る。感情の伴わない行為は熱心だがどこか事務的でさえある。藤堂が目に見えた反応をしないのも拍車をかけているのかもしれない。
刀身が胎内を突き上げ抉るたびに音や言葉が漏れる。声は音でしかなく言葉はただの羅列のように意味を成さない。揺さぶりが激しくなる。呼気が浅く早くなっていく。体が火照って汗がにじむ。慣れている体は藤堂の意思も感情も影響しない。湿った吐息があふれ胎内は媚肉を絡ませるように刀身を締め付ける。
「く、ぅ」
喉を鳴らすように嬌声がこぼれる。スザクの声は何度も藤堂の名を紡ぎ、先生と呼ぶ。藤堂先生。痛いですか? それとも、苦しい? 藤堂は応えない。スザクも求めない。体が軋む。嬉しくも愉しくもないのに体は悦がる。藤堂は己もまた歪んでいる肉塊なのだと思った。スザクの体は若々しく貪欲だ。何もかも享受すると決めたのだ。はは、お互いに名前を呼び合うなんて、なんて真っ当なセックスなんだろう。スザクの声が嗤う。藤堂は拒むように力を抜いて体を投げ出すと目を閉じた。
「あなたは狡い人だ」
スザクの言葉を茫洋としたまま聞いた。奔流は脚の間へ叩きつけられて胎内は突然の空隙にヒクついた。拘束衣を身に着ける。スザクにはもとより己が吐き出したものの始末をする気がない。手で拭うのは気休めだ。全裸で過ごせるほど肝は据わっていないし羞恥心くらいはある。他に何もないから元通りに着る。元通りにしようとするのは行為をなかったことにしたいかのようだと思った。爪の軋みでにじんだ血が床に紅い線を引いている。脈打つように痛むそれは小さいが長引きそうだと思う。
「オレはこんなに、苦しい、のに」
スザクは無造作に藤堂を俯せに抑えつけると両腕を拘束した。締め上げる程度がきつい。ぎちぎちと引き絞られるように限度も終わりも見えない。
「…――生きろ、なんて」
スザクの言葉の真意は判らない。何を指しているのかも曖昧にぼかされていて意味のない独り言でもある。不意に力が弛んで規則通りの位置と強さに縛られる。声が揺らいでいたが泣いている気配はない。むしろ抑えつける力が荒さを帯びてくる。交わす言葉はない。痛みの呻きすら上げない藤堂を碧色の双眸が映し込む。オレ、あなたのまた来るよって言葉が好きでした。
スザクが手を離した。何の障りもない動きで扉へ歩み寄り、施錠されているそれに対して合図をしている。終わるのだなと思った藤堂にスザクは幼いように笑った。
「また、今度」
沈黙が返事だ。スザクは藤堂を見下ろす。嫌がるでも戦くでもない藤堂から視線があっさり外される。もう振り向いて見もしない。開く扉と兵士に何事か言っているのが見えた。普通に見えるその光景を呆けたように眺め、藤堂は身じろいだ。
藤堂の何かは毀れていてスザクの何かも毀れていた。
《了》